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Inside Story 3 - Eyes of The Akira Hotelcongress


いよいよ重い腰をあげて多摩川スワンパー、ミスターホテルコングレスであるアキラ氏がライブ活動や初のアルバムに込めた重いをその活動の拠点である「ほがらかラボ」にて激白!酒なしでは読めないinside storyをぜひ。

新丸子マガジン(以下SM):まずはアキラさんの休日の過ごし方について教えてください(笑)。

何もないときはまず朝起きて愛犬メルの散歩を終えたら開幕ですかね(笑)。朝の明るい日差しのもと喉に流し込む赤ワインやビールほど最高のものはないです。それから音楽を聴いたり、ギターやピアノをぴろぴろと弾いたりします。曲ができるときもあるし、何にもクリエイティビティもなくだらだら弾いているだけのときもありますけど、どちらも楽しいですね。

聞く方は最近大先輩である長老さんから譲っていただいた素晴らしいプレーヤーでアナログ盤を堪能することが一番の悦楽です。僕の生まれ年に近い1973年製のラックスマンで増幅して、これまた悪い友人から譲ってもらったAcoustic Researchのトールボーイ・スピーカーから爆音で鳴らすわけです(笑)。

僕は昔から南部のサウンドが大好きなんですが、割と音楽は何でも聴きます。テイラー・スイフトの最新アルバムも聴くし日本のアーティストだと羊毛とおはなのような優しい音楽も大好きです。

音楽以外だと走ったりロードバイクに乗ったり、運動していることが多いですかね。まとまった運動の時間って体をいじめるというよりもじっくり考える時間になることの方が多いから、良いです。ある意味酒を飲む行為と同じような気がしますね。 頭をからっぽにして走っていると時々「あ、これは!」ということが思い浮かんだりするので。

SM:なるほど!ではホテコンの話の方に。。 まずはホテルコングレス(以下ホテコン)というバンド名の由来を教えてもらえますか?

ホテルコングレスというのはアリゾナ州ツーソンという小さな街にある実在の古い宿の名前なんです。僕がここを訪れたのは1995年の秋のことで、今からちょうど20年前になるのかな。当時グレイハウンドバスで販売していた「アメリパス」という周遊券があって、それを日本で買って、LAから東海岸まで南回りで旅に出たんです。

僕は古いジーンズとか大好きなので、しばらくメルローズなどLAで遊んで飽きたらアリゾナに向かおうと思ってたんだけど、丸2日サンセットストリップにいたら嫌になってしまい、2日目の夕方には宿の部屋で「地球の歩き方」に本当に小さく載っていたこの宿に電話してみたんです。

「二泊できる?」って。

そしたらOK、ということだったので翌朝ものすごく早起きして、治安の悪いLAのバスターミナルまで行って、そこからほぼ1日かけてTucsonに入ったんです。夕闇のTucsonは人も歩いておらず、かろうじて見つけた人といえば太ったおばさんがTattoo Parlor でお股を広げてて(笑)。その並びにあったのがHotel Congressで、もう佇まいが素晴らしかった!

結局二泊では物足りなくなって、延泊に延泊を重ねているうちに日本人、ドイツ人、そしていわゆるレッドネックのアメリカ人と仲良くなり。2Fにお金のない人のたまり場のような立ち飲みスペースがあるんですが、そこでそのレッドネック・フレンドのジムさんが酔って真っ赤な顔をしながら言うんですよ。「アキラ、お前この後はどこに行くんだ?」「俺は離婚して帰る家も無い。一緒に旅をしながら仕事探しにいかないか?」 嘘のような話ですが、彼はこちらの目をまっすぐ見つめて、酩酊してはいるんだろうけど切々と語ってくる。勿論一緒にはいけなかったのですが、彼の身の上話を聴いているうちに、そのストーリーは僕が初めて作った曲「Tucson」にまとまりまして。

そんな濃い場所であったHotel Congressを、99年に改めてナオッキー氏とバンドを始めようということになった時に、バンド名として拝借しようということになったわけなんです。

SM:ホテコン結成後しばらくするとナオキ氏が離脱し、その後もソロで活動されるなかで、ともゆき師匠がバンドに参加されました。これまでどのような思いで活動を続けてこられましたか?

そうですね.. そもそも僕はギターが好きで今でも自分のことはバンドのリーダーやボーカル、ソングライターをやっているという意識は無いです。できれば誰かしっかり歌える人のバックで、アコギやエレキでリズムギターを弾きたい。学生時代に結成したサザンロックバンドMoganzも当初は素晴らしいボーカリストが居て、僕はギターに専念していたわけで。学校を出たあとにやっていたHokkai Brothers Bandも僕にとっては夢のようなバンドで、2/3はナオッキー氏のボーカルだった。でもやはりみんな他にプライオリティが出てきたり、僕はもともと軽音部だったり大学の音楽サークルみたいなものが苦手だったし、そういうコミュニティにいたわけでもなかったので、最終的には自分でやるしかないよね、という流れになってしまったんですね。

ともゆきさんと最初に会ったのは2000年の秋頃だったと記憶しています。当時は別のバンドでベーシストを務められていて、そのバンドでのともゆきさんのサウンドは本当に素晴らしかった。で、あのどや顔も!そしてとても気さくで優しくて、こういう人がいるんだ、と当時すごくカルチャーショックを受けたのを覚えています。あの頃からともさんにいろいろなことを徐々に教えてもらうわけです(笑)。当時のホテコンはともゆきさんが所属していたバンドやCCQなどのオープニングをやらせてもらっていましたね。

2008年に新丸子Bar Derek and the Dominosでマンスリーをスタートするまでは、港北にあったNorth Cafeが主な拠点だったんですけども、確か2005年頃お店が福生に移転してしまったんです。それで06年あたりからともさんたちのバンドの前座という形でDerekでボチボチやり始めて、そのあたりから何曲かでともさんと一緒に演奏するようになったんですね。で、08年のマンスリー開始以降はよくともゆきさんが飲みがてら見に来てくれるようになり、翌年からはほぼ一緒にやるように。思えばこの5年ぐらいの間に一気に状況が変わった気がします。

SM:主に新丸子を拠点に活動されていますが、ホテコンが掲げる「多摩川スワンプロック」の定義とはズバリなんでしょうか?

多摩川スワンプって言葉自体にどれだけの意味があるのか(笑)。新丸子のすぐ隣り街は沼部という地名で、きっと昔は沼地だったんだろうな、と。そして新丸子は車がなかった時代は船着場があって、交通の要所、そして花街だった。いろいろな人が来ては消えて、というちょっとした旅愁といなたさと酒の匂い、そして沼地の怪しさを音楽に凝縮させると多摩川スワンプロックの出来上がりじゃないかと。僕たち以外に多摩川スワンプロックを標榜するミュージシャンが出てきたら面白いけども、当面は自分たちがオリジナリティ溢れる音楽をやることで、多摩川スワンプという言葉が少しずつ広まっていって、界隈のバーライブ・シーンが盛り上がったらいいなと思っています。いまの鎌倉のようになったら素晴らしいですけどねぇ。

SM:ホテコンは、アキラさんのソロに始まり、今年3月の横浜サムズアップでは6人編成になるなど、変幻自在ですね。アキラさんにとってホテコンとはなんでしょうか?

ホテコンというのは自分の屋号みたいなもんなんですかね… 自分は専業ミュージシャンじゃないですから、時として心も身体も?切り替えが必要になるのですが、この屋号があれば頭の中も含めてズバッと切り替えができるんです。 ホテコンが何かという問いにストレートに答えるとするならば… 酒にまみれたダメなおぢさんを主人公とした曲と南部ロック、スワンプロック、アメリカンロックをこよなく愛する音楽ユニット、ということになるのかな。いまのバーミュージックシーンを見ると正統派シンガーソングライターからレゲエにメッセージを乗せて歌う方やら歌謡ロック的なミュージシャンまで多種多様ですが、ホテコンもダメ声にそのような曲たちをやるという意味ではまたひとつ違った系統なのかもしんないですね。歌詞も日本語でストレートに行く方々が多いですけど、英語だし。英語でやることについて色々な意見があるのは事実なんですが、音楽なんてこれといったフォームはあってないようなものだし、オリジナリティというものが大事だと思うので、こういう存在があっても良いのかなと思っています。

編成が自由自在に変われるのは、それを良しとしてくれるメンバーのおかげです。何人編成だろうがパッと集まってできるメンバーがいなかったらこういうことはできませんからね。ずっとそういう環境には恵まれないかもと思ってきたところもあるので、今はとても各メンバーの方々に感謝の気持ちで一杯です。

SM:アキラさんは子供の頃からさまざまな音楽に親しまれてきましたよね。音楽的なルーツや、インスパイアされた人、好きなミュージシャンは?

そうですね、音楽的なルーツといえば!子供の頃に一瞬だけエレクトーンを習っていたことがありました(笑)。当時流行ってたんですよ。たしか80年代前半(笑)。 で、いま思えばその先生がとても良い先生で、弾くことよりも音感を鍛えることを熱心に指導してくれて。最初は単音から始まって、次は二音、三音と和音を分解して音当てクイズのようなことを繰り返し繰り返しやっていて。あれで音感が身についたのもあって、その後ブラスバンドでクラリネットやサックスをやるときにも非常に役に立ちましたね。鍵盤は好きなのでいまも家では弾いていますが、ピアノは習ったことないです。ちゃんとやっとけばよかったと思う一方でまぁ素人的なアプローチの方がピアノは楽しいのかも、と最近は思います。

そんな感じなので音楽は雑食で、南部ものしか聴かないんだろー!と思われそうですけども、さっき言ったようになんでも聴きます。いまだ吹奏楽も好きでよく聴きます。クラッシックもホルストとか、ドボルザークとか、ミーハーですけどね。

音楽を熱心に聴くようになってから30年以上になってみて考えると、やはりいま一番好きなのはシンガーソングライターものですかね。これはやはり2006年に鎌倉の名店Cafe Goateeの松本さんと出会ったことが大きいです。松本さんからいろいろなものを紹介してもらいましたが、どれも優れたシンガーソングライターで、あそこからGoateeとは直接関係なさそうな有名どころのシンガーソングライターもさらにおさらいしましたもん。

曲作りで影響を受けているとしたら、どうだろう、いろんな人のミックスだとは思うんですが、来日公演が終わったばかりのMatt The Electrician, あとはやっぱりTom Freundですかね。この二人は曇りの憂いと陽射しの明るさを一度に同居させることができる素晴らしいソングライターです。あとはやっぱりCaliforniaはSan Rafaelの旧友Ben Hulanですよね。彼と彼のお父さんからはギターを選ぶ眼とフィンガーピッキング、そして耳を鍛えてもらいましたし、二人ともフィンガーピッキングの達人で、彼らに手ほどきを受けていなかったらJoyやBack on the trackのような曲は今回のCDに入ってなかったでしょうね。

SM:今年3月にリリースされたファーストアルバムは、すべてアキラさんの作詞・作曲ですが、どんなシチュエーションで新しい曲の発想が生まれるのか、歌詞にどんなメッセージが込められているのか教えてもらえますか?

だいたい何事もないときは曲を作ろうと思ってもできないことが多いですね。まぁできることもあるけどあまりぐっと来ないでボツにしてしまうことが多いです。変な話ですけど自分のことやひとのことで心配ごとがあったり悶々としているときになぜかアイデアが湧いてくるんです。それで、リフやアルペジオからスタートして一気に作っていくことが多いです。

歌詞についてはいろいろな考え方があると思うんですが、2010年に雑誌の仕事でClaptonが有名にしたPlease be with meという名曲の作者であるScott Boyerにインタビューしたときに「曲作りの秘訣ってなんですか」ってストレートに聞いてみたんです。そしたら、「あの曲もそうだけど歌詞はas universal as possible、つまりできるだけ普遍的な意味を持つような作りにした方が良いよ」って言っていて。ラブソングにも聞こえるけど亡くなった友人を偲ぶ曲にも聞こえる、とか、聴く人それぞれがそれぞれのシチュエーションで自由に解釈できるように、ということです。そんなに崇高なレベルにはいつになってもいけそうにないですが(笑)、そういうマインドをもって取り組みたいなと。時にはダイレクトにこの人のことを、という曲もありますけどね。Fly away giant pigなんかは典型的な例で、これは当時適応に苦しんでいた僕をいろいろな局面で助けてくれていたおデブさんの友人が突如亡くなってしまい、途方にくれながら彼の追悼歌を何か明るく送り出せる雰囲気で作れないか、とチャレンジしたものです。

SM:当社調べによると、今回のアルバムは新丸子トップチャート30にランクインするなど好調な出だしで、全国各地のバーなどでも話題になっているようです。完成までに苦労した点や、アルバムに込めた想い、こんなところを聴いてほしいというポイントについて教えてください。

やっぱりホテコンのベースはライブだと思うので、ライブ感を損なわずにレコーディングするには一発録りですよね。これがなかなか手強いなーという感じでした。歌とアコギも一緒に録りましたからまぁなんとかうまくいってよかったです!当初は6曲ぐらいのミニアルバムにしようか?という話だったんですけど、追加でJoy, Back on the track, Gotta live on, Won’t be here no more, On a sunny Mondayを録ったんですが、ここにジン・ダウト氏がともさんのライブ音源のベーストラックを用意しておいてくれて、自分の弾き語りと合体、さらにリズムトラックやエレキをオーバーダブするという曲芸… これはジンさんの匠の技、もうすごいとしか言いようがないですね。Sunny Mondayはベースも打ち込みだったと思いますが、ジンさんのワイゼンボーンが実に良い味を出してますね。

聴きどころって人によって感じ方が違うので難しいですが、前半軽快に飛ばしてそのあとしっとりと落ち着いて、後半また盛り上がって最後は究極のダメおぢさんソングOn a sunny Mondayで締める。こうしたある種の流れがあるし、全体で40分ちょいなので、意外とさらっと流して聴いてもらえるのではないかと思います。

割と短期間の間にこうしてCDにまとまったのはやっぱり病床で頑張っているともゆきさんになんとか聴いてもらってちょこっとでもモチベにしてほしいな、というメンバー全員の気持ちの賜物だと思います。僕自身は曲を書いてライブやったりということに意欲はあってもCD作ってプレスして、ということまでは欲が全然なかったけども、結果このようなものが出来上がった。ずっと録音しようと言ってくれて、背中を押し続けてくれたジンさんや「おまえなんでCD作らねーんだよ」(笑)と会うたびに声かけてくれていた鎌倉Bar RAMのケンさんには特に感謝しています。

そして、このCDは音楽だけでなくジャケットも楽しんでほしいなと思っています!

この秀逸かつ酒の匂いがプンプンするジャケットは小淵沢でB&Bを営んでいるLamps Lodgeの小林さんに無理を言って作ってもらったものです。こちらできちんとこうしてほしいという指示も出していないのに、こんな素晴らしいジャケットを作ってくれた小林さんのセンス恐るべしという感じですが、どこに持っていっても「このジャケいいねー」とフックになっていて、とても嬉しいなと。ほんとにありがとうございます!

SM:セカンドアルバムを楽しみにされている方々も多いようです。次はどんなアルバムにしたいと思っていますか?

次はピアノのケンさんやパーカッションのマリちゃんにも全面的に入ってもらって、より芳醇かついなたいサウンドのアルバムを作りたいと思っています。方向性としては少しフォーキーな感じに行きたいかな。さらに酒のつまみになるようなサウンド!古いのから最近のまで曲はCD一枚分はすでにあるので、あとはバンドで馴染むまで何度かライブやったりして、秋頃にはスタジオに入れたら最高ですね。まぁ、まずはいまのCDをより広く届けられるような努力をしないといかんですけども(笑)。

SM:磐田のご実家でリハビリ中のともゆき師匠へのメッセージをお願いします。

とにかく一日も早く少しでも体の調子が良くなるように願っています。3/28のInto the Swamp Vol.2にはたくさんの方々に来ていただいて、改めてともさんの凄さを実感しました。でもあれが終わりではなく、これからもともさんと日々サポートする家族のみなさまを微力ながら応援すべく地道な活動をしていきたいなと思っています。あのような大きなイベントはなかなかできないかもしれませんが、これからもライブをちょこちょこUSTREAMでご実家にお届けしたり、いろいろできることはあるだろうな、と思っています。ただこれも僕が一人で思っていてもできないことなので、メンバー始め周りのみなさんの助けを借りながら続けていけたらなと。そもそも三日持たないかもと言われていた人が転院を経てご実家に戻られたことが奇跡としか言いようがないですけども、僕が知ってる10数年だけでも相当「持ってる」人なので、きっと今年中にはライブの会場に来てくれるのではないかと!セカンドアルバムにはなんらかの形でまた参加してもらいますからね(笑)。

SM:最後に、まだホテコンのライブに来たことがない方、まだCDを聴いたことがない方々にメッセージがあれば、ぜひ!

ここ数年の活動で地味に浸透しつつある多摩川スワンプミュージックを是非おつまみにしながら過ごすひと時をエンジョイしてもらえたらな、と思います。バーライブってチケットもないし、途中でふらっと寄って眠くなったら帰るなんてこともオッケーなものであるべきと思ってます。あっ!と思ったときに足を運べる気軽なものなので、構えず是非ライブをやっているお店に立ち寄ってもらえたらなと。自分の声ややっている音楽は合う人合わない人いるかなぁとは思いますが、やさぐれたときやどうもうまくいかないな、と思うときなど、お酒が飲める飲めないに関係なくぷらっと来てもらえたら嬉しいですね。CDもスワンプとか南部とかいうとブルージーなものを思い浮かべるかもしれませんが、ポップで耳馴染みの良い曲が多いです。是非手にとってみてください! 聴かなくても秀逸なジャケットはお部屋のインテリアにも良いですから(笑)。


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